翻訳会社と堅苦しい表現

翻訳する媒体によりますが、翻訳した文章を堅苦しい表現ばかりにしてはいけません。

例えば、少年向けの小説などでは、あまりに難しい言葉ばかりでは読む気をなくしてしまうかもしれませんし、かといって、簡易な表現ばかりでは面白くないので、バランスが大切となります。

例えば、「僕は実際に冒険をした経験はないのだが、友人達の手前、如何に勇敢な冒険をしてきたかを雄弁に語った」の様な文章だと堅苦しすぎるとも言えます。

それならば、「僕は実のところ冒険の経験はないけれども、友人達の手前、いかにも本当の冒険に行ってきたかの様に勇ましく話して聞かせた」位の文章が丁度良いのではないかと思います。

大人向けの小説や、推理サスペンスなどなら翻訳家の語彙の多さに任せて、どの様な難解な表現をしても良いかもしれませんが、読む層を考えて堅苦しい表現を避けたり、主人公が少年の様な場合は、いかにも少年が語ったりしている文章に翻訳しなければなりせん。

ちなみに、上記にある例は実際に、ある翻訳会社が翻訳した小説の一文でありますが、現在もこの翻訳会社が残ってかは分かりません。

持って回った文章

時に翻訳において、妙に持って回った文章に変換してしまう翻訳家や翻訳会社があります。

それは、翻訳会社の指導者の癖なのかもしれませんが、ハッキリとした表現の方が相応しい場合もあるのです。

例えば、実際に海外の小説を翻訳した一文に、「私の同僚の微妙な変化に気付き、周囲に気付かれない様に観察していると、私が近くにいる時とそうでない時の反応が変化している様に思えた、皆は私の事をどの様に思っているのだろうか」と言う翻訳がありましが、これだと遠まわし過ぎるのではないかと思います。

自分がいる時だけ、周りの態度が違うならば自分がどう思われているかを気付いているでしょうし、彼の心の内の声なので、この期におよんで、「皆は私の事をどの様に思っているのだろうか」はないと思います。

それならば、「同僚の私に対する微妙な態度が気になったので、気付かれない様に観察してみると、私の前でだけ態度が違う事に気付かされた、皆は私の事を嫌っているのだろうか」の方が適切な気がしますし、原文を見ても、その様な持って回った表現はなかったので、翻訳した方の意図する事があったのかもしれませんが、この場合は、原文に忠実で良かったと思います。